2022年 10月 20日
特選『守りたいまなざし』
「守りたいまなざし」
私の祖父は今99歳。
来月で100歳になる1922年の大正11年9月生まれ。そんな祖父の話を少しだけ。
8歳の時に親を病気で亡くしたと聞き、
そして10代後半、海を渡り満州の戦争へ行った人
一緒に励まし合った人の死をこの目でみて、食べる物がなく、アリを食べて生き延びて帰ってきた奇跡の人です。
それから日本に帰ってきて古本屋の商売を始め、軌道に乗った頃祖母と結婚。
貧しい時代で、今だと車で高速に乗って1時間かかるところまで、歩いて本の仕入れに行き、リヤカーいっぱいの本を乗せてまた、丸一日歩いて帰ってきてそれを売って家族を養ってきた。
産まれた子ども(私の父と叔父)は自分が抱くのは怖くて抱いた事はなく、
育児は全て祖母に任せて朝から晩まで働き詰め。
やがて祖父母の古本屋は商店街一大きなビルとなった。
私の両親も古本屋を継ぎ、私の帰る場所は古本屋。学校から帰るといつも祖父のデスクで値付けの手伝いをしたり、漫画を読んだり、般若心経を全部覚えたら一万円のお小遣いをくれたり、胴絞をして遊んだり、たまに戦争の話を聞かせてくれたり、私にとってはいつも遊んでくれる、何でも教えてくれる、優しいお爺ちゃん。
11年前の3月、そんな祖父の息子であり、私の父が亡くなった。
葬儀の最後の時、お父さんっ子だった私が「閉めらんといて!」と柩から離れられなかった時、誰よりも力強く引き離して抱きしめてくれたの祖父だった。
長年一緒に商売をして毎日を過ごしてきた命よりも大切な息子が先に逝き、言葉にはできない想いのはずなのに、祖父は一滴の涙もみせなかった。
葬儀が全て終わって親戚一同と家に帰ってきて皆それぞれ着替えたり一息ついた時、聞いた事のないような唸り声のような音が聞こえてきた。祖父の部屋からだった。
ずっと我慢してきた感情を全てが終えた後、自分の部屋に行き、何の我慢もせず大声あげて泣いていた。私たちは見えない祖父の姿にまた泣いた。
そしてその一年後の父の命日の次の日、父を追うように祖父の妻である祖母も自宅で突然亡くなった。
祖父は来月100歳になる。
100年の歴史に中に、親、兄弟、戦友、友人、息子、妻、沢山の死を、悲しみを見てきた目。
もちろん幸せな事もあっただろう。
私は時々子供を連れて実家に顔を見せに行く。
必ず下の階に住む祖父の家に我が子を連れて行く。相変わらず子どもの抱っこは怖いからしないし、写真を撮れば魂を抜かれると思ってる時代の人だから、何気なくシャッターを切る。
この座布団に眠る程の小さな曾孫に
そっと近付いてむける優しいまなざしは紛れもなく幸せに包まれていた。
100年という長い歳月を死に物狂いで生きて、繋いでくれた尊い命。。
この先の残された人生、
祖父の目にうつる世界が優しい世界でありますように。
祖父の優しいまなざしを守りたいという祈りと
沢山の感謝の気持ちを写真を通して伝えたい
そんな想いから、この写真を選んだ。
私の祖父は今99歳。
来月で100歳になる1922年の大正11年9月生まれ。そんな祖父の話を少しだけ。
8歳の時に親を病気で亡くしたと聞き、
そして10代後半、海を渡り満州の戦争へ行った人
一緒に励まし合った人の死をこの目でみて、食べる物がなく、アリを食べて生き延びて帰ってきた奇跡の人です。
それから日本に帰ってきて古本屋の商売を始め、軌道に乗った頃祖母と結婚。
貧しい時代で、今だと車で高速に乗って1時間かかるところまで、歩いて本の仕入れに行き、リヤカーいっぱいの本を乗せてまた、丸一日歩いて帰ってきてそれを売って家族を養ってきた。
産まれた子ども(私の父と叔父)は自分が抱くのは怖くて抱いた事はなく、
育児は全て祖母に任せて朝から晩まで働き詰め。
やがて祖父母の古本屋は商店街一大きなビルとなった。
私の両親も古本屋を継ぎ、私の帰る場所は古本屋。学校から帰るといつも祖父のデスクで値付けの手伝いをしたり、漫画を読んだり、般若心経を全部覚えたら一万円のお小遣いをくれたり、胴絞をして遊んだり、たまに戦争の話を聞かせてくれたり、私にとってはいつも遊んでくれる、何でも教えてくれる、優しいお爺ちゃん。
11年前の3月、そんな祖父の息子であり、私の父が亡くなった。
葬儀の最後の時、お父さんっ子だった私が「閉めらんといて!」と柩から離れられなかった時、誰よりも力強く引き離して抱きしめてくれたの祖父だった。
長年一緒に商売をして毎日を過ごしてきた命よりも大切な息子が先に逝き、言葉にはできない想いのはずなのに、祖父は一滴の涙もみせなかった。
葬儀が全て終わって親戚一同と家に帰ってきて皆それぞれ着替えたり一息ついた時、聞いた事のないような唸り声のような音が聞こえてきた。祖父の部屋からだった。
ずっと我慢してきた感情を全てが終えた後、自分の部屋に行き、何の我慢もせず大声あげて泣いていた。私たちは見えない祖父の姿にまた泣いた。
そしてその一年後の父の命日の次の日、父を追うように祖父の妻である祖母も自宅で突然亡くなった。
祖父は来月100歳になる。
100年の歴史に中に、親、兄弟、戦友、友人、息子、妻、沢山の死を、悲しみを見てきた目。
もちろん幸せな事もあっただろう。
私は時々子供を連れて実家に顔を見せに行く。
必ず下の階に住む祖父の家に我が子を連れて行く。相変わらず子どもの抱っこは怖いからしないし、写真を撮れば魂を抜かれると思ってる時代の人だから、何気なくシャッターを切る。
この座布団に眠る程の小さな曾孫に
そっと近付いてむける優しいまなざしは紛れもなく幸せに包まれていた。
100年という長い歳月を死に物狂いで生きて、繋いでくれた尊い命。。
この先の残された人生、
祖父の目にうつる世界が優しい世界でありますように。
祖父の優しいまなざしを守りたいという祈りと
沢山の感謝の気持ちを写真を通して伝えたい
そんな想いから、この写真を選んだ。
写真・キャプション:トコちゃん
顧問コメント
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講評:相武えつ子さん(まなざしフォト部の顧問)