入学準備の哲学
B'zのクリスマスソングを聴きながら産休を過ごした冬から早6年が過ぎ、12月でもなく10月に私が欲しかった椅子を買った。国家試験を控えた夏、机と椅子と高さが合わずグッタリしてた所、外から聞こえる歩くとピコピコなる靴を履いた幼女の駆け足と、選挙カーの「ありがとうございます、ありがとうございます」の騒音のマリアージュに発狂しかけた覚えがある。これから学びの門に入る息子には、せめてハード面では苦労させたくない。たとえ選挙カーとピコピコ靴は不可避だとしても。
入学にむけランドセル、椅子、学習台は準備したものの、あとは何を準備すべきなのか。
せめて自分の名前くらいは書ける様にとは思うものの、無理矢理やる気を出させるのも違うような気がしてあまり口出ししなくなった。
というのも、以前「何歳までは文字は教えるべきでない」というような記事を読んだ気がする。その時はふーん程度に思ってたが、最近はこう思う。文字情報は伝わりやすい。一言で伝わる。それは生きていく上で言うまでもなく重要である。一方で伝わりやすさと引き換えに想像力が働く余地を無くすのでは?と思うようになった。
例えば透明の液体が入った容器に「水」って書いてたら水入ってると思うでしょう?でも文字が読めなかったら?色々想像する。サイダーかも?いやいや金魚用にカルキ抜き中の水かも。もしくは洗剤とかかも。答えがストレートにこないから可能性はいくらでも考えられる。
息子から発せられるその見当違いな想像に呆れることがしばしばある。しかし、「なんでそうなった?」と聞いてみると、その考えに至るまでの経緯がなるほど道理にかなってたりするのだ。それって文字が読めないから自由な発想が養われたのかもしれない。
入学前に準備すること、それは「想像力をもっと引き出す経験・不思議への興味の引き出しを増やすこと」と考える。興味があれば学びは楽しい。いくらでも掘り下げていける精神はオタク文化の日本人が得意とするところだ。オタの道に堕ちるが良い。そしてマニアックな場所でこそ盟友は見つかりやすいのだ。共に歩む仲間をさがせ。
というわけで本日の息子の疑問は
「ガラスはなんでつるつるなのか?」とのこと。それに対する夫の回答はつるつるに作ってるだけでザラザラにも作れる。しかしザラザラだとガラスの透明度の高さという性質が活かせないから、多くの場合はつるつるに作る。とのことであった。
夫は物理学者である。頭がいい人というのは大抵一般常識を知らない(もちろん例外もいます。)。彼もまた「物理」という、ある類の人から見ればセクシーな分野に魅了されたのでしょう。
息子よ、父の背を追え。いちいち不思議を見つけては「何故」と思う気持ちを養え。なんでそうなったのか予想して、世界がいちいちよく創られていることに感動せよ。隠された宝を見つけるように日々を生きる、なかなかにドラマティックが止まらないぞ。
そして私はいつか夫がノーベル賞を受賞したら(言うまでもないが可能性はほぼゼロである。)ストックホルムでダンスせねばならんので、ダンスの道を極めなくてはならんのでは?とちょっと思っている。その為にも姿勢ですよ。私もバランスチェアに座らせていただこう。
というわけで、興味の心と机に向かう習慣があれば小学校の生活もどうにかなるかなと思っている。参考書はまだいらない。白紙のノートを自由に広げられるもの・ただし確実な機能と品質を持つモノを。
といっても机に向かう習慣がない。差し当たりトランプでもして椅子に座る時間が長くなってくれれば良い。そう思ってゆっくりと12月のあかりがともり始めた今日このごろ、バランスラボの椅子に座ってみている。
どうでしょう、入学に対する心構えが甘いだろうか?出たとこ勝負もまた良い。「若さ」という可能性無限大の最強カードを持つ者よ、リカバリは如何様にでも。
Profile/関えり子
「宮城県生まれ宮城県育ち。6歳男子と2歳女児の母。 映画サントラと森見登美彦の小説が大好きで映画音楽×森見調の文章×自分の写真で構成した「どうでもいい話をしよう」(Instagramストーリーズ)に全力を注いでおります。一切有益な情報はございません。無益こそ美しい。 美味しい五目焼きそばとエリザベス女王がよくお召しになっているお洋服探しをライフワークとしてます。卒園式・入学式に着たいのですがどこで売ってますか?」